megmogu’s diary

帝王切開ママの気持ちに寄り添いたい、2歳と4歳の子供をもつ30代主婦の子育て記録。

いじめには出口がある

お題「若いころの苦い思い出」

若いころの苦い思い出、私の場合はその1つに「いじめ」が思い浮かびます。
そして、いじめにより自殺してしまおうかと思い詰めている人に、知ってほしいことがあります。
いじめには出口があるということ。
もちろん、状況により出口が簡単に見つからないこともありますが…。
今回は学校生活において、私の経験を交えてお話させていただきます。

私が高校2年生のとき、あることがきっかけでクラス中の女子から無視されたことがあります。
進級した新しいクラスで、私は1年生のときから親しかった女子グループと一緒にいました。
そこに、1人の女子がやってきました。
一見おとなしそうで、気弱そうな子でした。
私はなんだか親しい友人達との間に割って入られるのが気に食わず、冷たい態度をとりました。
その結果、「何あの子」となったのでしょう。
そのおとなしそうな子をAさんとしますね。
始めはAさんと親しかった他の女子達から無視されました。
次第にそれが他の女子にも伝わり、私が仲良しと思っていた女子達からも、無視されたり素っ気ない態度を取られるようになりました。

そういう状況を、当時の私は仕方ないと思っていました。
初めに失礼な態度をとったのが自分だったからです。
おとなしそうなAさんだからと、強気な態度を取った浅ましさの結果ですから、自業自得なのだと。
でも、ですね。
本当、自分がしたことを棚上げして言わせてもらえるなら…。
十数年も経った、今となったからそう思えるようになったことは…。
Aさんが私に「何その態度!」と1対1で向かってくれたなら、私達は「喧嘩」ができたのかなと。
「いじめ」には、なっていなかったかもしれないと。
だって私が心から謝らなくてはならないのは、Aさんだけです。
他の取り巻き達は、正直言って何も関係ないでしょう?
それなのに何故あんなにも「私」を嫌ったのでしょう。

当時、クラスの女子達は「私という嫌な女子」を蔑むという1点において結託していたように思います。
「私」は訳なく嫌な態度をとる悪いヤツで、そんなヤツは無視しても、素っ気ない態度をとっても良いと、彼女達の行動と言動は正当化されたのではないでしょうか。
おそらく、1人を大多数で攻撃しているという意識は無かったのでしょうね。

結局、そういった無視や素っ気ない対応は、クラス替えになるまで約1年間続きました。
その間、私の心も思考もすり減っていました。
今思えば、当時の私は間違いに気づいた時Aさんに謝らなければなりませんでした。
それでAさんが許してくれるか、周りの状況が変わるかは別として。
自分の間違いを認めるという意味で、謝るべきでした。
しかし、当然のように無視される。
何か発言したとして「は?」とか、「あ?」とか、「あっそ。」とかいう返事をされる。
取り巻きでもないクラスの女子の1人から、「だから友達がいないんだよ!」と大勢の前で罵倒されたことがある。
そんな状況が続くうちに、
「自分は何の価値も無い人間だ」と思うようになっていました。Aさんに謝罪しなければと思い至ることさえできなかったのです。

とても辛すぎて、私には
高校2年生のときの記憶がほとんどありません。
修学旅行も、体育祭も、文化祭の思い出も、
脳が消去してしまったようです。

でも辛かった気持ちまでは消せないようで、今でも時々夢に見るんです。
もちろん悪夢ですから、起きた時、とても辛い気持ちになります。
きっと、私をいじめていた人たちはそんなこと覚えてもいないでしょうに。
私の心には、高2のときの辛い記憶がしこりのように残ったままです。

当時、「自殺」することも頭をよぎりました。
でも、その度に母の経験談が支えとなりました。
母は九州出身なのですが、転勤で関西に越した際クラスメイトから訛りをからかわれたそうです。
それが原因で引っ込み思案になってしまったと。
成人し、同窓会に出席したとき、当時の訛りをからかった人に「昔、私をいじめたよね」と言ったそうです。(母すごい…)
そしたら、「そうだったっけー?」と明るく笑い飛ばされたそうです。
つまり、いじめた張本人はまったく覚えてなかったということです。
もしくはいじめたという自覚さえなかったかもしれません。

その経験談を聞いていたおかげで、
私は自分が死ぬことで、いじめてる人たちにダメージを与えることなどできないと、命を絶つ一歩手前で踏みとどまることができました。
彼女達に罪悪感を抱かせることなどできないし、
反省させられたとして一瞬で、その内あっけなく忘れさられるのだと。
自分は「高校」という狭い世界に居て、それは期限付きだと自分自身に言いきかせました。
卒業さえすれば、一生会うこともないのです。
小学生でも、中学生でも、高校生でも、「卒業」などの節目はやってきます。
私のように「進級」が出口になることもあります。
だから、どんなに「今」が辛くとも、決して、自ら命を絶ってはいけません。

決して命を絶ってはいけないと言うのは、私自身が、今、「あの時死ななくて良かった。」と思っているからです。
そう思える幸せなできごとがあったからです。

こういうことがあってから、私はどんな人にも敬意を払うようになりました。
最初は「もう攻撃されたくない」という思いから、ですが。
次第にそうすることが当然だと思えるようになりました。
そのおかげか、大学生や社会人になってから一緒に旅行したり
、家に遊びに行ったり、
こどもを授かってからも関係が続くような友人たちを持てることができました。

その友人の1人に紹介された人と、結婚し、こどもを授かることができました。

そのこどもが、「ママだいすき」と言ってくれる。
傷ついた心を、うれしい気持ちでいっぱいにしてくれる。
「自分は何の価値もない…」そう思っていた私が、1番欲っしていたものが手に入りました。

もちろん、今まで順風満帆とはいきませんでしたし、これからもそうなるとは限りません。
しかし、あの時母の経験談を以てしても耐え切れず命を絶ってしまっていたら…
こんな気持ちには出会えなかったということです。


今でも高2の時を思い出そうとすると、悲しい、辛い気持ちでいっぱいになります。
いじめが原因で命を絶ってしまう未成年のニュースを目にするたび、どうにかならなかったかと辛くなります。
ブログを始めたときから、いつか「いじめ」についても触れたいと思いながら、
自分自身の当時の気持ちに向き合うことが怖くて、辛くて、なかなか手をつけることができませんでした。

いざ書いてみると、言いたいことの半分も上手く書けない自分をもどかしく思います。
また4月になれば、新学期が始まります。
そういう緊張の他、去年から続くコロナのストレスもあるでしょう。
でも決して命だけはあきらめないように。
「絶対幸せになってやる!」って、踏ん張ってください。